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回り道、そして苦難の時代

歯科医師国家試験に合格し、勤務医として馬車馬のように働きました。

当時付き合っていた彼女との結婚を考え始め、明日は彼女の御両親に御挨拶に行こう、という夜からぼくの人生は激しく、厳しい波に翻弄されていきます。

その晩、両親に呼ばれ父の経営する会社を手伝ってくれないかと言われました。「え、でも俺、歯医者の仕事があるし......」父の体調が思わしくないとか色々な理由が重なり、迷ったあげく歯科医の仕事をやめる決心をしました。

いきなり父の仕事を手伝っても、なかなかうまくいかず辛い時期でした。この頃は本当にいろんなことがあり、毎日辛かった思いがあります。「本当に歯医者の仕事に戻れるんだろうか?」「いったい俺は何をやってるんだろう?」

確かに人生の中では回り道でした。でも、今にして思えば「人生、回り道も必要じゃないかな?」と思います。

この時期に歯科医の仕事を離れ、迷い、悩んだからこそ今のぼくがあるんだと思います。(結婚を考えていた彼女とはこの時期に別れました。他にもいろんなことがありましたが、機会があれば又書きたいと思います)


大事故と、父との別れ
ある日、バイクに乗っていたぼくは急に横から出てきたベンツと衝突しました。
体が投げ出されて空を飛んでいたときの風景は今でも鮮明に覚えています。

救急車で運ばれ結局、右のひざが粉々になっていたので腰の骨をひざに移植する手術を受けました。手術をしてもひざなんて曲がりません。

リハビリ生活が始まりました。半年近く松葉杖だったのであまり動けず15kgほど太りました。今でも正座や走ったりすることはできません。
将来のこと、今のこと、不安だらけでした。

松葉杖をつきながら歯科医の仕事に復職しました。しかし、しかし、まだまだ神様は容赦なくぼくにムチを与えます。

父が末期がんの宣告を受けました。3か月に渡る闘病生活が始まりました。はっきり言ってみてられません。母の献身的な介護を見てるのも辛かった。

そして父は逝きました。優しく厳しかった父。小さい頃、消防車が好きだったぼくのために消防署まで行って、交渉して消防車に乗せてくれた父。ぼくは大はしゃぎだったそうです。

父との思い出
ぼくが悪さをするとよく、けつバットをされました。(要は野球のバットで思いっきりおしりを叩かれる、これが痛いんです)

ぼくの部屋に友達が遊びに来ていると必ず、酒をもって乱入してきてなかなか出て行かなかった父。父の人柄がよく出ているエピソードがあります。

父が友達に向かって「君はどこの大学に行ってるんだい?」「はい、暁曠君と同じ昭和大学です。」「なにー、暁曠と同じ大学?お前アホやろ」豪快な父でした。

ちなみにアホ呼ばわりされた友達は現在、内科の院長をしております。いい思い出です。

あんなに子供が好きだったのに孫の顔も見せてやれなかった。今だったら二人でうまい酒でも飲みながら、いろんな話ができたのに......
今だったら親孝行してやれたのに......今だったら......
おやじ、ありがとう。

この頃のぼくは少しずつ、鬱な状態抜け出し始めていました。あまりに色々なことが集中しておこるので精神的に麻痺してたのかもしれません。

実際にこの頃の記憶は断片的にしか思い出せない部分もたくさんあります。

人は本当に辛い記憶があると、脳が自分を守るために勝手に記憶を消去する、と読んだことがありますが、ああ、本当なんだなあと思います。


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